1935年ドイツグランプリ
参考文献: ビル大友著「グランプリF1」(1975年頃購入したカマボコ板型の本@@)、ジョヴァンニ・ルラーニ著「チャンピオン・ドライバー」(我らが走り屋の神、タツイオ・ヌヴォラーリの生涯を綴った本@@)
「オリンピックでも、カーレースでも、鉄道の速度記録でも、競争と名の付くものは何でも一等賞になれっつ!
これわ命令ぞ@@!」
自動車レースを国威発揚の手段としての利用を目論むアブナイ一等賞オジサン、デア・フューラーことアドルフ・ヒトラーの強い後押しを受けたドイツの二大自動車メーカー、メルセデス・ベンツとアウトウニオン。フューラーから与えられた潤沢な資金により高められた技術を遠慮なく注入したメルセデスのW25、アウトウニオンのPヴァーゲンなどの高性能なマシンに加え、ドライバーもルドルフ・カラッチオラ、ヘルマン・ランク、マンフレート・フォン・ブラウヒッチュ(メルセデス)、ベルント・ローゼマイヤー、ハンス・シュトウック(アウトウニオン)などの一流揃い。
一方、この鼻息荒いドイツ勢に立ち向かうその他弱小勢の代表、非力なアルファロメオを駆るイタリア人、我らが走り屋の神、タツイオ・ヌヴォラーリ!
この1935年ドイツグランプリレースは実質、このドイツ勢対「イタリアのマシンを駆るイタリア人、ヌヴォラーリ」の闘いとなったのでありまシタ@@。
ヌヴォラーリの駆るアルファロメオP3 諸元省略@@
レース場に向かって急降下してくるアブナイ飛行機@@
「このレースにおいて、ドイツ人は外国人に対し、いささか無礼な演出を行った。林立するハーケンクロイツの旗、そして上空から1機の飛行機が急降下。のちの戦争においてヨーロッパ中を恐怖に陥れることとなるスツーカのプロトタイプである。」ジョヴァンニ・ルラーニがさきに紹介した著書「チャンピオン・ドライバー」の中でこう言っていた@@。
フューラーのグランプリレースに対する入れ込みようがわかろうというもの。ちなみにこの頃のスツーカのプロトタイプは、2枚尾翼のあまり見栄えのよくないものであったらしいけど、
手元に詳しい資料がなかったので、この型でご勘弁願いマシタ@@。
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